謎の通訳。不思議だと思うマイク松ですこんにちは。どういうふうに通訳してるのか、誰かに読んでほしい。ちょっとヒップホップっぽいグルーヴを感じました。
さて、お仕事が一段落したのですが、あまりに疲れて帰ってきたので、ちょっとニュースをとりあげたいと思います。
人気の力士大砂嵐。今はオフですが、幼稚園を訪れて園児たちと餅つきをしたそうです。そういうの力士的にすごい大事だからがんばってほしいです。
しかしわりとハードだったそう。みんなといっしょに相撲をとったあと、自分だけで力強く餅をついて、園児といっしょについて、記念撮影をしたあと、園児たちと遊んだそうです。
でかい大砂嵐に園児が頼むことといえばやはり高い高いですよね。でリクエストに応えていると、気がついたら長蛇の列ができていたそうです。絶対いっぺんやってもらった園児も後ろに並んでるはず。列が尽きないわけで、いっこうに終わらなかったそうです。
大砂嵐も「稽古よりきつい」とへとへとになっていたそうですが、これこそいい稽古になりそうですね。人柄のいい大砂嵐らしいエピソード。子どもと遊んで強くなれれば一石二鳥。がんばってほしいです。
このエピソードを聞いてぱっと、漱石の『夢十夜』の第十夜を思い出しました。『夢十夜』すごい好きなので。青空文庫でも読めます。第十夜を今回のエピソード的に考えてみました。
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大砂嵐が幼稚園に出かけてから七日目の晩にふらりと帰ってきて、急に熱が出てどっと、床に就いているといって親方が知らせに来た。
大砂嵐は角界一の好男子で、至極善良なエジプト人である。まわしをつけて、朝に鳴戸稽古場の土俵に降りて、そばで四股を踏んでいる。そうしてしきりに稽古している。そのほかにはこれというほどの特色もない。エジプトには後援会ならぬファンクラブがある。
ある夕方一人の女が、不意に店先に立った。保育士のような服装をしている。その要望がひどく大砂嵐の気に入った。そこで丁寧に挨拶をしたら、女は保育所で餅をついて下さいというんで、大砂嵐はではつきましょうといって、女と一緒に部屋を出た。
いかな大砂嵐でも、あんまり呑気すぎる。ただ事じゃなかろうといって、親方や弟弟子が騒ぎ出していると、七日目の晩になって、ふらりと帰ってきた。そこで大勢よってたかって、金太郎さんどこへいっていたんだいと聞くと、大砂嵐は電車へ乗って保育所へ行ったんだと答えた。
何でもよほど遠い保育所に違いない。大砂嵐のいうところによると、電車を降りるとすぐに保育所に出たそうである。非常にいい幼稚園で、どこを見渡しても園児ばかりいた。女と一緒に幼稚園の中を歩いて行くと、急に運動場へ出た。その時女が大砂嵐に、ここで子どもたちと遊んで御覧なさいといった。大砂嵐はまわしを締めて餅をついた。すると女が、もし子どもたちと遊んだら、いい稽古になりますが好うござんすかと聞いた。大砂嵐は稽古が大好きだった。すると子どもが一人、目を輝かせて来た。大砂嵐は喜んで、高い高いをしてやった。子どもはきゃっきゃきゃっきゃといいながら、満足して帰って行った。大砂嵐が喜んでいるとまた一人の子どもが目を輝かせて来た。大砂嵐はまた高い高いをした。子どもはきゃっきゃと喜んで帰って行った。するとまた一人あらわれた。この時大砂嵐はふと気がついて、向こうを見ると、運動場の尽きる辺から百数十人か数えきれぬ子どもが、群をなして一直線に、この運動場に立っている大砂嵐をめがけて目を輝かせている。大砂嵐は喜びながらも恐縮した。けれども仕方がないから、近寄ってくる子どもを一人一人丁寧に高い高いをしていった。不思議なことに高い高いをすれば子どもはきゃっきゃと喜んで帰って行く。よく見ると一度高い高いをした子どもが大喜びで列の後ろに並んでいく。大砂嵐は我ながら怖くなった。けれども子どもは続々くる。無尽蔵に目を輝かせてくる。
大砂嵐は必死の勇をふるって、子どもたちを七日六晩高い高いをした。けれども、とうとう精根が尽きて、手が蒟蒻のように弱って、しまいに子どもたちに相撲で負けてしまった。そうして部屋に帰ってきた。
親方は、大砂嵐の話をここまでして、でもいい稽古になったからよかったといった。自分ももっともだと思った。けれども親方は大砂嵐に三役に上がってもらいたいといっていた。
大砂嵐は強くなる。三役は大砂嵐のものだろう。
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子どもに好かれてこそ力士。忘れられがちですが、相撲人気の回復に一番大事なことですよね。こうなったら子どもと遊ぶ稽古プログラムを作ってみたらどうでしょうか。高い高い100人×3セット、ちびっこ相撲50人×2セット、もちつき10分。普通に鍛えられそうです。